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地域主権改革の必要性について…少子化対策を例に

 現在の我が国における 緊急かつ最も重要な課題である少子化対策について、これまでの幼稚園・保育園・学童保育の成り立ちを考えてみる。

 現在の少子高齢化を招いた原因はいろいろとあるが、特に、働く親たちの子育て支援をしてこなかった、親の自己責任に任せてきた社会に一番の問題があるといえる。

 保育園、学童保育は児童福祉法(厚生労働省・旧厚生省)
 幼稚園、小学校は 学校教育法(文部科学省・旧文部省)

 この縦割り行政の弊害も大きく、国では、「子どもの教育」と、「子どもの福祉」が別の次元で議論され、個々の保護者の生活や子育てがどのような状況なのか、0歳から成人までどのように育つのか、一つの目で見ることなく、省庁の論理で見てきたことに大きな問題があった。

児童福祉法(昭和22年12月12日)

第一条
すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。


すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。

第二条
国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。

第三条
前二条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたつて、常に尊重されなければならない。

 保育行政は、なんと、戦後の荒廃期 昭和22年に作られた児童福祉法でいまだに行われているが、この法律のそもそもの立法趣旨は、主に戦災孤児などを念頭に、児童に健全で必要十分な生活保障を施すこと、そのために、保護者はもちろん、国と自治体に責任があることを定めたもので、現在のような複雑・多様な社会に対応できるか、そもそも疑問がある。

 ここで、もっとも問題なのは、国は自ら児童の健全育成に責任を負うと宣言しながら、自らは何もせずに、すべて市町村にやらせてきたことである。

 しかも、制度はすべて国が作ったうえで、市町村が自主性を発揮することがないよう細かく規制をし、財源も渡すのではなく、市町村が実施する分に応じて一定額を「負担金」という形で「交付」する、まさに市町村は頭を持たない「国の手足」でいることを求められてきた。

 国としては、「児童福祉」である以上、日本に生まれた児童は等しく健やかに暮らす権利があり、国はその責務を負っているので、保育園は同じ基準で造り、同じ経費で運営し、つぶれたりしないようにする必要があるからだと思われるが、その考え方自体は、法の立法趣旨からして間違っているわけではない。

 国の間違いは、にも拘わらず、自らの責任を全うして来なかったことにあるわけで、国が責任を持って作るべきもの、行うべきもの、それを「ナショナル・ミニマム」として、日本全国どこに生まれても、また、どこで子育てをしても格差がないようにするのは、当然、国の責任である。
 首都圏の子どもが数百人単位で慢性的に待機児童になっている状況を放置しているのは、国の責任放棄であると言える。

 現状では、最終的な責任は市町村に丸投げしながら、そのやり方は国が決め、必要なお金を手当もしない。
 子どもの声が騒音として、近隣住民と争いになっても、国として保育園は必要だからという意思表示さえもせずに、市町村の責任にして、結果、認可をした市長が訴えられる。
これでは、自らが法に定めた国の責任を全く放棄しているのと同じである。

 国は国の論理で、 国としては全ての事業を自ら行うことが物理的にも難しいという言い訳のもと、市町村にその責任を負わせ、市町村にやらせるのであれば、「口は出さずに、金は出す」というのが道理である。

 施設の認可基準、職員の配置基準、運営費の基準までこと細かに決めてしまっている現状では、子どもの数も変わるし、親のニーズも変わる状況にフレキシブルに対応できないのは当然のことである。
 基準を満たすために、土地を購入(確保)し、建物を建て、保育士や調理員を募集して、というのでは、時間も経費もかかるし、また、リスクも大きい。

 極論を言えば、小学校の中に、保育園(幼稚園)と学童を作り、給食も含めて、その運営を民間事業者に委託することができれば、個別に整備・運営する現在の方法に比べて、結果的には地域の子どもにかかる経費は低く抑えられ、しかも、ニーズに迅速かつ適切に対応できる。不要になればやめることも、また、復活することも容易になる。

 国は、平成17年に「次世代育成支援対策推進法」を施行し、少子化担当大臣を置いて、本格的な少子化対策に取り組んでいる、、、、ように見えるが少子化対策は、実際には何の権限もない「内閣府」に置かれ、市町村が一人ひとりの子どもに対して、0歳から18歳までの子育て支援を行っていくには、戦後から70年間、何も変わらずに厚生労働省と文部科学省 両省の「指導・監督※」のもとに行うという状況が続いている。

※建前上、地方分権の名のもと、通達行政による「指導・監督」は廃止されているが、現実は、「通達」が「通知」に変わり、「指導」が「技術的助言」に代わっているだけである。

市民にとって、一番身近な子育て支援を例にとり、国と市町村の責任分担、
「ナショナル・ミニマム」と「シビル・マキシマム」のあり方について、
今、真剣に議論し、地方から国に物言うべき時にきている。

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