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新生よこすか

はじめに

我々は、大きな時代のうねりの中にいる。
一つの時代が終わり、新しい時代を迎えようとしているが、バブル崩壊後、経済的衰退と社会的荒廃は、益々、混迷を深め、未だに、新しい時代の入り口が見つからないでいる。
我々は、古びた因習や惰性を排し、広範な人々の英知を結集し、「よこすかの新しい価値の創造」を模索することによって、次代への架け橋たらんことを使命とする。

新しい社会の理念

今日、社会を覆っている危機の根源の一つは、「自由」という概念の真の意味と含蓄が忘れられつつあることである。
このことによって、今日、現実の自由社会において、多くの矛盾が噴出し、「自由」のあり方が、「自由社会」そのものを侵食し始めている。
放縦と利己が横行し、「自由」の名において「自由社会」の存在が、脅かされているのが現実の姿である。
我々は、「自由社会」を再検討し、新しい理念を模索しつつ、「新しいよこすか」を創造することに全力を尽くす。

自由

人間の人間としての特徴は、「意志の自由」による自発性に求められ、このことは、「自由」が、多様性の尊重、つまり、一人一人の個性を重視する社会の上に、成立することを意味する。
しかしながら、「公的自由」と「私的自由」が対立したり、混同されつつあるところに、現代社会の危機が存在する。
「新しい社会」は、社会的自我に目覚めた、自立した「強い個人」、しかも自律的人間によって、はじめて創造されうる。
我々は、「新しい社会」が、公的自由と私的自由の間の整合を目標とし、自立した「強い個人」の、自由な意志による自己抑制によって、達成されるものである、と信ずる。

新家族主義と地域社会の再建

現代社会では、益々、核家族が進み、個人と社会を結ぶ絆としての「家族」、あるいは、「古里」としての「むら」は、次第に風化して、その機能を失いつつある。
一方、家族や村に代わって、企業などの経済集団が、個人と社会の中間的な役割を担ってきたが、混迷する経済情況の中で、「企業」と「個人」の従来の一体感が、大きく変貌しつつある。
我々は、西欧文明を模倣することによって、「近代化」を進めてきたが、さらに一歩超えた視点に立って、社会の基盤にかかわる問題として、日本の文化と伝統の再検証を行うべきである。
人間が人間らしく生きていく社会基盤として、あらためて「家族」と「村」の役割を再検討し、新しい発想による「新家族主義」と「地域社会」の建設を提唱する。
これは、「見せかけ」の家族主義から、血とのつながり、大地とのつながりへの回帰を意味すると同時に、日本の文化や伝統を受けつぎ、相互扶助の精神を育ててきた「家族」や「地域社会」が、大自然を「畏怖」する宗教的情操と、哲学的思索を養う機能体として、再構築されることを意味する。
我々は、創意と活力を生かし、よこすかに「新家族主義」と「地域主義」を構築することに努力する。

自立と連帯のよこすか

我々の目指す社会は「強き個人」の「自由な意志」によって構成されるものだが、同時に連帯感によって結ばれた、落伍者のない社会を創らなければならない。
連帯感を育み、これを確立するためには、まず、なによりも、「不条理な苦痛」からの自由を、社会全体の責任として認識することを明らかにすることである。
「不条理な苦痛」ー自分の責任でない原因によって被る苦しみーの根源をとりのぞく努力とともに、被った苦痛を出来る限り小さいものにする施策の充実を、社会全体の責任として、意識していかなければならない。
我々は、すべての個人が、「不条理な理由」なく、その能力と意欲に応じて、「公平な機会」を与えられる社会を目指す。

教育に賭ける

人間の「意志」とは、知性と意欲の統一態である。
このことは、個性豊かな「強い個人」が、教育によってはじめて育成される、ということを意味する。
個人の尊厳を重んじ、真理と正義を愛する自立的精神に充ちた、心身ともに健康な次代の市民の育成は、教育の力によってはじめて達成されるものである。
このことは、よこすかの将来、社会の明日が、教育の成果に賭けられていることを意味している。
教育には、人間の普遍的原理が存在するのと同じように、民族固有の伝統や文化、そして地域特性に支えられた、多彩な内容と方法がある。
我々は、このことに、今あらためて思いを巡らす必要がある。
我々は、この様な観点から、教育の出発点に帰ることを提唱したい。
人を愛する心、自然を愛する心、親を愛する心、家庭を重んずる心、お年寄りを大切にする心、奉仕と連帯の精神、隣人や地域を愛し、結果として国を愛する心、克己と自立的精神の育成、さらに、日本民族の伝統と文化規範の尊重などを、教育の基本におくことを強調する。
また、現代物質文明における「精神」の貧困と荒廃を思う時、大自然を「畏怖」する宗教的情操と、哲学的思索を、地域社会と連帯して養い育てる教育の必要を痛感する。
そして同時に、教育の自由化、地域教育の個性化に、自立したよこすかの将来が創造されうる、と確信する。

地方分権

我々は、地方自治が、基本的人権に基ずく生得で、自然的、住民固有の権利と考える。
それは、課税自主権を初め、財政上の自律主義という裏付けを前提にした、「住民選好」という基準から成立する、住民自治であり、団体自治である。
我々は、「住民選好」という基準による、公共財やサービスの提供、社会的弱者の救済制度などの実現に際し、地方自治こそが、資源の適正配分と、安価で効率的な運営を保証できる、と確信する。
我々は、国家社会主義的な中央集権制度が、日本の戦後の発展に貢献してきたことに対し、評価を惜しむものではないが、既に歴史的役割を終えている、と認識する。
我々は、自立した「よこすか」を創造するために、全力を尽くす。